2002年07月02日

トミ子マガジン 第12号 No.012 2002/7/2

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       トミ子マガジン 第12号 No.012 2002/7/2
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▼私のヘアースタイルは災害型?
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私の選挙区、宮城県は6月12日に宮城県沖地震が発生してから24年目を迎えました。私のトレードマークの三つ編みのヘアースタイル(髪を全部後ろで束ねて三つ編みにしてたらす)は、この時からのものなのです。

忘れもしない、地震がおきたとき、私は東北放送のアナウンサーをしており、その日は遅番で夜7時までの勤務の日でした。遅番の女子アナは夕方5時から7時まで「運行」と言われる仕事につき、スタジオで天気予報や番組のお知らせ、時刻の告知などを行います。

あのとき、突然、目の前のマイクが揺れたのです。すぐに「地震だ!」と気付きました。東北放送では、地震が発生すると、地震関係のアナウンスは報道センターに切り替えられます。

情報も知りたいので3階にあるスタジオから、4階の報道センターに行こうとした途端、すごい、大きな揺れが来て、たっていられないくらいでした。とっさに、スタジオの重い扉を夢中で開けて飛び出しました。窓ガラスが割れて、天井の方からバラバラ落ちてくる中、一瞬、外に目をやると地面が波をうっているように見えました。

これが昭和53年(1978年)6月12日17時14分に宮城県を襲った「宮城県沖地震」のときの私の経験です.震度は限りなく6に近い5を記録。27人もの死者を出しました。平成7年(1995年)に阪神淡路大震災が発生し、都市型大規模地震災害の恐ろしさを再認識することになりましたが、仙台という人口50万人以上(当時)の都市がはじめて経験した都市型地震の典型と言われました。

電気、ガス、水道などのライフラインが大きな被害を受け、とくにガスは復旧に約1ヶ月もかかりました。そのころ私は、ロングヘアーにパーマをかけたヘアースタイルでしたが、お風呂はもちろんのこと、髪を洗うこともままなりませんでした。もらい風呂をした日もありましたが、髪をなんとか一つにまとめて復旧作業を手伝わなければなりません。

そこで、このヘアースタイルが編み出され、今日までの24年間、続いてしまいました。初めは顔をむき出しにするので恥ずかしかったし、テレビの番組などではディレクターから「その髪型、なんとか変えてくれ!!」と言われたこともあり、決して評判のいいものではありませんでした。

でも94歳で亡くなった祖母が生前、「トミちゃんの髪型、くし目が入って清潔でいいねぇ」とよく褒めてくれたことと、国会議員になってからは「テレビに映ったとき、うしろからみてもトミちゃんだとわかる!」と皆さんに言われたことで「変えなくて良かった」と思うようになりました。

瀬戸内寂聴の「髪」の一節“千筋の一本一本のすべてに血が通い、生命が宿っている温かさがある”といいう下りと、“鋏を入れると髪はきちきちと哭き声をあげる。思いがけない強い抵抗を見せた“という表現が、私の心にいやに印象深く残っているのです。

いつかはこのヘアースタイルを変えなければならない時がくるのかもしれません。でも、今のところ毎朝髪をくしけずり、整えると、心までシャキッとなるので、まだしばらくはこのままでいようと思っています。
(女性国会議員メルマガ『ヴィーナスはぁと』第30号より)

参議院議員 岡崎トミ子