岡崎トミ子
アナウンサーと選挙
その知名度から、選挙の目玉として要請され、出馬される方も多い、いわゆるタレント議員。芸能人だったり、スポーツ選手だったり、ジャーナリストだったり。その中でも、「アナウンサー出身」の政治家はとても多いんです。これはテレビである程度知名度がある事に加え、「アナウンサー」=「ニュースなどで政治に携わっている」ので、政治に強いというイメージがあり、選挙に強いということではないでしょうか?・・・っていうのはあくまでも私の憶測ですが・・。折角なので、アナウンサー出身の政治家を色々ご紹介したいと思います(*^^)v
岡崎トミ子さんとは?
皆さん、岡崎トミ子さんを知っていますか?私が初めて彼女の名前を見たのは、某大手巨大掲示板でした。韓国関連の活動が一時話題となりましたが、岡崎トミ子さんとは、どんな人物で、どんな政治活動をしていたのでしょうか??
岡崎トミ子さんと反日デモ
これは岡崎トミ子さんが、2003年に韓国の日本大使館前で行われた反日デモに参加していた写真が流出したものです。インターネットが普及しているこのご時勢。あっという間に「反日」というメッセージとともに、岡崎トミ子さんの「反日問題」は徐々に加速し、2013年7月21日の第23回参議院議員通常選挙では、みんなの党の和田政宗に5000票余り及ばず3位となり落選してしまいました・・・。ここではそんな岡崎トミ子さんの政治活動の光と影を、少しさかのぼってお話したいと思います( ゚ー゚)( 。_。)
岡崎トミ子さんのプロフィール~誕生からアナウンサーになるまで~
さて、まずは岡崎トミ子さんのプロフィールについてです。岡崎トミ子さんは1944年2月16日に福島県福島市で生まれました。その後、地元福島で進学し、福島県立福島女子高等学校 (現福島県立橘高等学校)を卒業しました。地元で生まれ育ったんですネ(・∀・)
岡崎トミ子さんのプロフィール~アナウンサーとして活躍~
そして卒業後の1962年、ラジオ福島に入社し、アナウンサーとなります。5年間キャリアを積んだ後、に東北放送へ移籍します。移籍後は、毎年8月の終戦記念日の前後に放送される「戦争撲滅」がテーマの特別番組を担当し、知名度を上げました。他にも歌謡番組やクイズ番組、様々な娯楽番組のアナウンサーとして活躍。東北放送での労働組合の副委員長まで務めあげた、いわゆる「地方キャリア」のアナウンサーです。そして、28年のアナウンサー生活にピリオドを打った岡崎トミ子さん、つ、ついに政界に進出します(ノ゚ο゚)ノ
政治活動の光と影~初当選~
こうしてアナウンサー生活にピリオドを打った岡崎トミ子さんが初めて出馬したのは、第39回衆議院議員総選挙です。岡崎トミ子さんは東北を中心に活躍した元人気アナウンサーですので、東北での知名度は抜群でした。日本社会党公認で旧宮城1区で出馬し、見事初当選を果たしました。その後も議員として精力的に活動を続け、1993年の第40回衆議院議員総選挙で見事再選を果たし、1994年、村山内閣で文部政務次官に任命されたのです。このまま、順風満帆な政治家活動が続くかと思いきや・・・。この後、徐々に岡崎トミ子さんに異変が訪れますΣ(゚д゚lll)
政治活動の光と影~離党と落選~
社会党が解党した1996年、社会民主党結党が後継政党として発足します。岡崎トミ子さんはこの社会民主党に参加しましたが、間もなく離党します。その後、鳩山由紀夫氏や新進党の鳩山邦夫氏、菅直人氏(新党さきがけを離党)、元北海道知事の横路孝弘氏らが結成した旧民主党結党に参加し、党副代表に就任しました。そして旧民主党結党で、宮城1区から出馬します。・・・が、残念ながら、第41回衆議院議員総選挙では愛知和男氏(新進党)に敗れて落選してしまうんです(´;ω;`)残念でしたね。。。
政治活動の光と影~参議院議員として~
岡崎トミ子さんは第41回衆議院議員総選挙では愛知和男氏(新進党)に敗れてしまいましたが、ここで諦める岡崎トミ子さんではありません。続いて1997年、参議院宮城県選挙区補欠選挙に出馬し、ついに念願の参議院議員に初当選します!!ちなみにこの選挙は自由民主党の市川一朗氏が辞職することによって行われた選挙で、市川氏は宮城県知事選挙に出馬したものの、現職の浅野史郎氏に敗れ落選しています(゚Д゚)
政治活動の光と影~政治資金規正法問題~
2001年7月の第19回参議院議員通常選挙の際、岡崎トミ子さんの所属する政治団体が、政治資金規正法で禁止されている外国人からの寄付について、2件の少額(2万円)の寄附があったことが2004年4月、指摘され問題となりました。
政治活動の光と影~参議院議員として活動開始~
さて、政治資金規正法問題を乗り越えた岡崎トミ子さんは、いよいよ念願の参議院議員として活動を始めます。2001年3月14日、内閣総理大臣・森喜朗の問責決議案の答弁に立ち、森政権下で起きた数々の事件や問題をあげて様々な発言で注目を浴びます。
- 「あなたがこの事態を深刻に受け止め、リーダーシップを発揮して立ち向かっている姿は全く見えてこない」
- 「様々なスキャンダルを引き起こし、真相究明から逃げている貴方が、どんなに立派なことを言っても、子供達は絶対に貴方の話を聞かないだろう」
- 「貴方には教育をする、教育改革を語る資格はない」
- 「貴方にできる唯一の教育は、静かにこの壇上から立ち去ること」
などなど・・・と痛烈に非難しました。岡崎トミ子さん、物凄い強気な発言のオンパレードですよね(°д°)
政治活動の光と影~再選と暗雲~
続いて第19回参議院議員通常選挙で岡崎トミ子さんは再選し、2004年9月には民主党副代表に就任します。ますます勢いは続き、2007年7月、第21回参議院議員通常選挙で3回目の当選を果たしました。・・・が、またもや岡崎トミ子さんに暗雲が・・・。そうです、政権交代です(゚ロ゚)
政治活動の光と影~代表を辞任~
政権交代・・・。それは多くの議員にとって光と影をもたらします。岡崎トミ子さんの場合はどうだったのでしょうか?彼女の場合は、いわゆる「影」でした。宮城県知事選挙などで敗北が続いたことなどにより、ついに代表を辞任しました。政権交代後は民主党宮城県連代表として、精力的に活動し、宮城県建設業協会との関係強化に力を入れたりと頑張ったんですがね、力及ばず。といったところだったようです。岡崎トミ子さんが民主党副代表を辞任したのは、2009年10月30日の事です(ノД`)
政治活動の光と影~初入閣~
民主党副代表の座を辞任した岡崎トミ子さんですが、民主党代表選挙(2010年9月)では選挙対策副本部長を務め、当時現職だった菅直人氏の推薦人として選挙活動に邁進します。官氏は見事当選を果たして菅内閣ではついに初入閣しました。菅内閣では国家公安委員会委員長兼、内閣府特命担当大臣に任命され、少子化対策を中心に消費者及び食品安全・男女共同参画などに活動の幅を広げますが、またもやここで暗雲が・・・(;´д`)
政治活動の光と影~退任~
初入閣したものの、岡崎トミ子さんにはいわゆる「スキャンダル」に近い問題が続々と降りかかります。そのうちの一つが、最初に私がちらっと触れた、某巨大掲示板で大きな話題となった「反日デモ」問題です。この問題は退任のきっかけにはなりましたが、それ以外にも国際テロ捜査に関する文書流出問題、北朝鮮が韓国延坪島へ砲撃した際に警察庁へすぐに行かなかったこと等、様々な問題の責任を問われたことによるものです。その後、民主党副代表に就任し(2011年1月)、民主党中央代表選挙管理委員長にも就任したんです。ちなみに民主党代表選挙(2012年12月)では海江田万里氏を支持しました(´∀`)
岡崎トミ子さんの歴任
- 衆議院議員(2期)
- 参議院議員(3期)
- 参議院総務委員長
- 参議院災害対策特別委員長
- 国家公安委員会委員長(第83代)
- 内閣府特命担当大臣(消費者及び食品安全・少子化対策・男女共同参画)
- 民主党副代表
岡崎トミ子さんの政治的主張
岡崎トミ子さんの政治的主張は以下の通りです。
- 婦別姓制度
- 岡崎トミ子さんは、選択的夫婦別姓制度に賛成しています。『姓を選択して、お互いの生き方の自由を認め合うパートナーシップの考え方になるべき』と主張しています。
- 国旗及び国歌に関する法律に反対
- 岡崎トミ子さんは、国旗及び国歌に関する法律に反対しています。これが「反日」と捉えられてしまうこともあるようです(。-_-。)
- 靖国神社参拝反対
- 野党有志議員が呼びかけた「小泉首相の靖国神社参拝反対の集い」に参加しました(2001年8月9日)。この集いの閉会の挨拶で「国民の意見が二分し、国益を大きく損なうと思われる中、あえて首相が参拝することに強く抗議する」と小泉元首相の事を痛烈に非難しました。森元首相の時といい、この人は凄い勢いで非難する発言力がありますよね(^ー^;)